世界の大泥棒の話

★日本左衛門は「白波五人男」の中で、 唯一実在した大泥棒。 藩の侍や金持ちの商人はおそうが、 庶民には手を出さない、 全国に指名手配されて自首する潔さ等が、 江戸っ子の気風に合って人気者となった。 ☆白波五人男 と 稲瀬川勢揃いの場の口上 ●日本左衛門(歌舞伎では日本駄右衛門)は、 白波五人男の一人で元武士の義賊。 盗みはすれど非道はせず、 日本六十余州を股に掛けて、 荒らし回ったことから、 日本駄右衛門と呼ばれるようになった。 鎌倉の呉服屋・浜松屋を狙い、 全財産を奪おうとするが、 浜松屋の息子が自分の実子であり、 弁天小僧菊之助が、 浜松屋の実子であると知って去る。 史実では尾張家の浜島友右衛門の子で、 身持ちが悪く勘当され、 天竜川西岸を本拠に盗賊団を結成、 東海道一帯を荒らし回った。延享3年には、 江戸から出張した捕吏の手を逃れたが、 翌年1月に京都町奉行に自首、 江戸に送られて3月11日に斬首された。 ○問われて名乗るもおこがましいが、 産まれは遠州浜松在、十四の年から親に放れ、 身の生業も白浪の沖を越えたる夜働き、 盗みはすれど非道はせず、 人に情を掛川から金谷をかけて宿々で、 義賊と噂高札に廻る配附の盥越し、 危ねえその身の境界も最早四十に、 人間の定めはわずか五十年、 六十余州に隠れのねえ賊徒の首領日本駄右衛門。 ●弁天小僧菊之助 相模国江ノ島の生まれで女装を得意とする。 自分が殺した信田小太郎になりすまし、 小山判官家の千寿姫をかどわかして、 胡蝶の香合を奪い取る。 その後日本駄右衛門の配下となり、 駄右衛門の策略で、 南郷と共に女装して浜松屋に乗り込むが、 駄右衛門が変装した武士に、 見破られ大見得切って正体を明かす。 しかし浜松屋が実父であって、 実は小山判官家に仕えていたと知り、 帰参に必要な胡蝶の香合を探すことになる。 やっとの思いで香合を見つけたものの、 捕り手に囲まれて香合を川に投げ込み、 極楽寺の山門の上で立ち腹を切って果てた。 ○さてその次は江の島の岩本院の児あがり、 ふだん着慣れし振袖から髷も島田に由井ヶ浜、 打ち込む浪にしっぽりと女に化けた美人局、 油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、 悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度、 だんだん越える鳥居数、 八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、 島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助。 ●忠信利平 登場した時から日本駄右衛門の配下。 昔赤星家に奉公し、 金を持ち逃げした忠信伝蔵の息子。 小山判官家乗っ取りを企む悪党一派から、 小山判官家の千寿姫と、 信田小太郎(実は弁天小僧)を、 救ったと見せかけて、ゆすりを働こうとした。 ○続いて次に控えしは月の武蔵の江戸そだち、 幼児の折から手癖が悪く、抜参りからぐれ出して、 旅をかせぎに西国を廻って首尾も吉野山、 まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京、 碁打と言って寺々や豪家へ入り込み、 盗んだる金が御嶽の罪科は、 蹴抜の塔の二重三重、重なる悪事に高飛びなし、 後を隠せし判官の御名前騙りの忠信利平。 ●赤星十三郎 信田家の中小姓だったが、お家のために、 百両盗もうとして捕まって勘当され、 腹切ろうとしたところを、 因縁ある忠信利平に救われる。 利平がだましとった件の百両を受け取り、 利平の紹介で日本駄右衛門の配下となった。 ○またその次に列なるは、以前は武家の中小姓、 故主のために切り取りも、 鈍き刃の腰越や砥上ヶ原に、 身の錆を磨ぎなおしても抜き兼ねる、 盗み心の深翠り、 柳の都谷七郷、花水橋の切取りから、 今牛若と名も高く、 忍ぶ姿も人の目に月影ヶ谷神輿ヶ嶽、 今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜、 その名も赤星十三郎。 ●南郷力丸 相模国江ノ島の生まれで、 弁天小僧菊之助の兄貴分。 二人一緒に日本駄右衛門の手下となり、 駄右衛門の策略で女装した弁天小僧と、 二人で浜松屋に乗り込んだ。 ○どんじりに控えしは、 潮風荒き小ゆるぎの磯馴の松の曲りなり、 人となったる浜そだち、 仁義の道も白川の夜船へ乗り込む船盗人、 波にきらめく稲妻の白刃に脅す人殺し、 背負って立たれぬ罪科は、その身に重き虎ヶ石、 悪事千里というからは、 どうで終いは木の空と覚悟は予て鴫立沢、 しかし哀れは身に知らぬ念仏嫌えな南郷力丸。 ★石川五右衛門が釜ゆでの刑になったのは、 豊臣秀吉の寝室に押し入ったから。 若い頃グレていた石川五右衛門は、 お坊さんから忍びの術を習ったのをきっかけに、 忍術の達人の、 百地三太夫のもとで修行し大泥棒となった。 ★徳川家の葵の御紋の入った提灯を、 下げていたのは、大泥棒の葵小僧。 神出鬼没な上に、 大胆な盗みを働く葵小僧を捕まえたのが、 江戸時代の特別警察ともいえる火付盗賊改の、 長谷川平蔵で、10日後には晒し首になっていた。 ★宮元武蔵に仕込まれた強さを誇るのが、 伝説の盗賊幸崎甚内。 武芸が達者なうえに身軽で力持ちで、 向かうところ敵なし。 最後は持病だった熱病の発作を起こし、 見張りの役人にあえなく御用となってしまった。 ★和服を作る仕立て屋の修行を、 真面目にやっていながら、 スリに転身したのが銀蔵。 スリの大親分清水の熊蔵の、 娘との結婚をきっかけに、 その跡目を継いで、仕立て屋銀次と名乗り、 全盛期には3000人の子分を従えていた。 ★伊藤保は服役中にも鎖から懐中時計を外す 「茄子輪外し」を仲間から習う程の、 熱心な前科30犯、逮捕歴41回のスリ。 農林省に勤める真面目な息子は、 父親の犯罪を新聞で知り、 これを苦に自殺してしまった。 ★明治時代に活躍した渡辺銀平の子分の中でも、 四天王に数えられるのが、木鼠の喜久蔵。 この土蔵破りの大物は、 東京を中心に、埼玉、群馬、福島等で、 今のお金だと15億円以上も盗みまくっていた。 ★母親が窃盗犯で、 その服役中に生まれたという妻木松吉。 自分が押し入った先で、「用心の為に犬を飼え」 等という元祖・説教強盗。 おかげで都内の金持ち連中は、 競って犬を飼い始めた。 ★日本で初めて犯罪に青酸カリを使ったのは、 鵜野州武義という泥棒。 1935年11月に、ある喫茶店で、 青酸カリ入りの紅茶を飲んだ客が苦しんで、 店内がパニックになっている隙に、 現金を奪って逃げて行った。 ★巾着屋の豊と言えば 明治時代のスリ界では、 知らない人は居ない程の大親分。 汚い身なりでは、かえって金持ちに警戒されると、 子分達にも若旦那や商人風に変身させて、 スリ取る金額が大幅にアップしたという。 ★袴垂保輔は平安時代の泥棒。 度胸と力があり、俊足なうえに、思慮深い事から、 泥棒のくせに好人物という評判だった。 皇室とも縁が深い名門の出身で、 藤原保昌の弟だという説も、 あながち嘘ではなさそうだ。 ★蜘蛛の陣十郎はビル荒らし専門の泥棒。 若い頃にサーカスの曲乗りをしていた事から、 身が軽く手足の指の握力が強く、 ビルの壁を素早く昇り降り出来る事から、 警視庁の担当者につけられたニックネーム。 ★京都のお寺から、 1360点もの名宝が盗まれたのは昭和初期の事。 盗んだのは、 古美術マニアの京都帝国大学医学部勅任教授で、 正四位勲三等医学博士という立派な先生。 ★宮様小僧こと笹崎 晋作は、明治、大正、昭和と、 泥棒家業一筋に生きた本格派。その秘訣は、 どんなに大きな屋敷で飼われている番犬でも、 あっという間に手なずけて、 難なくお宝を盗みだす事が出来たから。 ★何度も刑務所を出入りしているうちに、 刑務所のすぐ側に家を建ててしまったのが、 「ムショの殿様」こと金子一城。 この家で泥棒の紹介業をはじめ、 前科者の面倒をみているうちに、 殿様の風貌を身に付けていった。 ★ディック・ターピンは、 ロンドンっ子の賞賛を浴びた大泥棒。 ある時に、逃走中に乗っていた馬が、 足の骨を折り倒れてしまった。 ディック・ターピンは、この時、逃げるのも忘れて、 泣きながらその場に座り込み逮捕された。 ★1gが今のお金で100万円以上と、 金の1000倍も、 高価だったのがエジプトのミイラ。 考古学的な価値ではなく、不老長寿の薬と、 中世ヨーロッパでは信じられていたからで、 ミイラ専門の墓泥棒も多かった。 ★今の法律では、 人に気付かれない泥棒の方が強盗より罪が軽い。 ところが中世ヨーロッパでは、 強盗は立ち向かって撃退する事が出来るが、 泥棒は出来ないという理由から、 泥棒の方がはるかに重罪だった。 ★裸一貫からローマ法王にまで、 上りつめたドン・ペトロは、実は泥棒だった。 若い頃にキリスト教の僧侶と共に、 招かれたパリの画家の、 アトリエで盗みの現場を押さえられ、 蹴飛ばされたうえに叩き出されたという。 ★泥棒の中でも、 スリは技術を競う職人的なところがある。 剃刀で服やバッグを切り開いたり、 酔っ払いから盗むのは最低ランク。 まして、暴力を使うのは論外で、 スリ取って現金だけを奪って、 財布を返せれば名人クラス。 ★イギリス犯罪史上最大の、 列車強盗事件の被害総額は、 当時のレートで27億円というから桁外れ。 主犯格をつとめたのは、 当時活躍していた大泥棒の、 ダグラス・ゴードン・グッディで、 たった28分での犯行。 ★泥棒はどんな理由があっても犯罪だが、 例外は戦争の時。戦争で人間を殺しても、 殺人罪に問われないのと同じで、 敵国の武器弾薬、財宝等、 何を奪っても強盗や窃盗の罪に問われない。 ★1970年代の後半に村民全員が、 墓泥棒だと分かったのはエジプトのクルド村。 きっかけは、 古代エジプトの貴重な遺品を発掘した時に、 その分け前に不満を持っていた長兄が、 密告したからだといわれている。 ★アメリカの作家O.Henry (William Sidney Porter)は、 会計係として勤めていた銀行で盗みを働き、 3年間の刑務所暮らしを経験している。 その時、 獄中で書いた小説が世に認められたのだから、 泥棒より小説家が性に合っていたようだ。 ★白いシャツに白いズボン、 羽の付いた黒い帽子に、 黒のブーツという目立つファッションで、 馬に乗って盗みを働いていたのが、ハイドウック。 14〜15世紀のルーマニアで、 貧しい人に恵む義賊として絶大な人気があった。 ★英国人名事典に載る程の、 大泥棒であるジョナサン・ワイルド。 盗むだけでは気が済まず、 「盗難品取戻所」という看板を掲げて、 盗んだ物を元の持ち主に売りつけ、 この方法でオランダに支店まで持っていた。