洋食の話

★とんかつのルーツであるカツレツは、 元々イギリス料理で牛肉を材料にしていた。 日本でも初めは牛肉を使っていたが、 日清・日露戦争を境に、 豚肉を使ったポーク・カツレツが、 次第に主流となっていった。 ★洋食には地方色豊かな物もあり、 埼玉県行田市の「富来」もその一つ。 富来はクレープを元に、 今から80年も前に考案されており、 当時、木綿工場で働く女子工員達から好まれた。 今も市内に30件以上の富来屋がある。 ★洋食の代表的素材である牛肉を、 日本人の舌に合うように、 工夫して生まれたのがスキヤキ。 今は醤油、砂糖を使うが、 初めは肉独特の臭いを消す為に味噌仕立てだった。 江戸時代の末期には、味噌味スキヤキ屋もあった。 ★オムレツの語源は「ケル・オム・レスト!」 (何と素早い男だ!) という王様の言葉からきている。 旅先でお腹がすいた王様に、 フライパンであっという間に、 卵料理を作ってくれた男に叫んだ言葉がこの一言。 ★1872年に出版された 「西洋料理指南」という洋食料理書によると、 カレーライスに入れる具は、 ネギ、ショウガ、ニンニクと ハマグリ、タイ、アマガエル。 当時は、 牛、豚、鶏肉より、魚介類とカエルが好まれていた。 ★洋食の調味料やソースなどの、 原料として欠かせないトマト・ソースは、 1903年には早くも商品化されている。 ところが、 赤い色が血を連想させると、 まったく不人気で売れず、 一般に普及したのは第2次大戦後の事。 ★デパート地下の食料品売場で、 人気のコロッケだが、元々は、超高級料理。 明治、大正時代の天皇主催公式晩餐会では、 クロケットという料理で出されていたが、 材料もキャビアや牛ロースの細切りなどを、 ふんだんに使っていた。 ★ロールキャベツのルーツは古代ギリシャ。 紀元前270年頃の料理書に、 ドルマといわれる料理のように、 エビとレモンのような果物の薄切りを混ぜて、 イチジクの葉を使い、 クルクル巻いた料理の記録が残っている。 ★日本に初めて、 食堂車がお目見えしたのは明治32年。 山陽鉄道の急行列車だった。 当時のメニューは、スープ、オムレツ、ビフテキ、 カレーライス等、全てが洋食。 国鉄(現・JR)初の食堂車は明治34年に登場した。 ★ビスケットは、元々、パンを乾燥させて、 痛まないよう工夫された保存食。 古くから戦場食、航海食として愛用され、 日本に入ってきたのも戦場食用だった。 日清・日露戦争では、 日本のビスケット工業が急伸している。 ★洋食の添え物的なポテトは1598年に、 ジャガトラ港から来た事から、 ジャガタライモと呼ばれた。 初め家畜の飼料だったが、 1836年の大飢饉の時に、 ポテトを栽培していた地方に死者が少なく、 保存食として重視された。 ★1078年にトマトが、 初めて日本に入って来た時は単なる観賞用だった。 洋食が日本人になじんできた大正時代になって、 トマトはやっと食用として認められ始めたが、 この頃はたっぷりと砂糖をかけて食べていた。 ★「東西食文化の完全なる融合」と、 グルメで有名な作家・開高健が絶賛したのは、 アンパン。 1874年に、日本人パン屋第1号の木村屋が、 パンの中にアンを入れたところ大ヒット、 明治天皇もことのほか好まれたという。 ★トンカツを卵でとじたカツ丼の生みの親は、 東京・早稲田にある「三朝庵」。 大正7〜8年頃、 江戸時代から続いた蕎麦屋も、 時代の波には逆らえず、新メニューを工夫。 洋食のトンカツと、 親子丼を合体させた傑作が誕生した。 ★東京・浅草にある洋食屋の河金は、 カツカレー発祥の店。ある日、常連の一人が 「カツレツライスにカレーをかけて」 と注文したのがカツカレーの始まりで、 これを丼に入れて食べやすくしたのが、 看板料理「河金丼」。 ★ハヤシライスの生みの親は、 東京・日本橋「丸善」の創始者で、 医者でもあった早矢仕有的氏だという説がある。 丸善がまだ横浜にあった当時に、使用人の昼食用に、 ご飯とおかずが一皿ですむようにと、 考えだされた物だとか。 ★日本のハヤシライスは、 宮内庁が考案したという説がある。 ルーツは東欧料理のグラッシュで、 上等なのがビーフストロガノフ、 普及版がハヤシライスとなった。 これが「上野精養軒」や神田の「松栄亭」に、 受け継がれていったとか。 ★東京・深川の「名花堂」(現・カトレア洋菓子店)が、 日本初のカレーパンを発売したのは昭和2年。 当時の技術では、 水分が多いカレーを、 パンとして焼くのは難しく油で揚げた物。 ★カツ丼といっても、 ソースカツ丼を考案したのは高畑増太郎氏。 料理コンクールで入賞したこの丼は、 卵でとじず、 カツにドイツ仕込みのソースをかけたもの。 高畑氏の故郷・福井では、 ハイカラ丼という名物料理になっている。 ★クロケットとは、 フランス語で「カリカリする」という意味。 肉などの材料を、 ホワイト・ソースであえたクロケットは、 代表的な西洋料理だが、日本に入ってきて、 ジャガイモをベースにしたコロッケとなり、 庶民の人気を博した。 ★明治に入って続々とパン屋が登場してきた。 当時、築地と上野の「精養軒」の、 料理長をしていたスイス人のチャリヘスは、 製パン工場まで作る熱の入れよう。 ここのパンは人気が高く、 宮内庁御用達のパン屋となっている。 ★昭和4年創業の阪急百貨店は、昭和7年に、 客席面積1000坪をこえる 「マンモス食堂」を完成させた。 1日の客数4万5000人。 人気のメニューは、海老フライにミンチボール、 ライスとコーヒーという30銭のランチだった。 ★世界で初めてカレー粉を売り出したのは、 イギリス人。 インドがイギリスの植民地となった1800年代に、 初代インド総督が、カレーの原料とインド米を、 ビクトリア女王に献上したことから、 カレーが一般にも広がっていった。 ★本格インドカレーの老舗といえば、 東京・新宿の中村屋。 創業者が、日本へ亡命してきたインド独立の志士 ラス・ビハリ・ボースをかくまい、 娘と結婚したことから、 ボースが喫茶部の目玉商品として、 カレー作りに協力した。 ★日本人の舌に一番定着した洋食といえば、 カレーの右に出る物はないだろう。 インド料理店のインド人コックが、 「これは美味しい日本料理だが何ていう料理だ?」 と真顔で聞いたのは、「ボンカレー」の事だったとか。 ★醤油や酢に慣れ親しんだ舌には、 ソースはなかなか受け入れられなかった。 苦戦の末、ソースが一般に浸透したのは、 肉屋が、カツレツやコロッケを売る時に、 瓶を持って行くと、 ソースをサービスしてくれるようになってから。 ★国産マヨネーズを初めて作ったのは、 キューピーマヨネーズの創始者・中島董一郎氏。 貧乏暮らしのアメリカ研修時代に、 安くて栄養がありお腹にたまるからと、 よく食べていたポテトサラダに、 目を付けた事が始まり。 ★洋食が日本に入って来た頃は、 西洋料理は全て漢字で書かれていた。 甘藍(キャベツ)、暮茄(トマト)、葱頭(タマネギ)、 花椰菜(カリフラワー)、洋芹(パセリ)、 獅子暮椒(ピーマン)等。 ★豪華な洋食と共に、 テーブルを飾ったアイスクリーム。 鹿鳴館への出入りが許された当時の、 上流階級の人でさえ、 こっそりポケットに入れて持ち帰ろうとし、 晴れの衣装を台無しにした人が居る程、 オシャレなデザートだった。 ★アメリカで作られたのに、 ハンバーグはドイツの地名からその名が付いた。 ハンブルグから、 アメリカへの出稼ぎ移民を乗せた船に、 積まれていたハンブルグビーフという、 保存食用の硬い肉を、 ミンチ状にして使ったのが始まり。 ★カマンベールチーズは、 フランス・ノルマンディー地方の、 カマンベール村で作られる。 アレルという農家のおばさんが、 ナポレオンに差し出し、 お褒めのキスをもらったという。 村には、このアレル婆さんの銅像が立っている。 ★フォンデュ料理の中でも、 代表的なチーズフォンデュには、 パンを鍋に落とした人は他の人に、ワインを、 おごらなくてはならないという 楽しい決まりがある。 日本の鍋物と同じように、 一家団欒にはもってこいの料理と言えよう。 ★世界で初めてパンを食べたのは、 新石器時代のエジプト人だった。 「パンを食べる人」と言われる程に、 パン好きなのエジプト人だが、墓石まで、 パンで作ってしまったと言うから徹底している。 さすがピラミッドの国の人達(笑 ★クロワッサンの生みの親は、 ブダペストのパン屋さん。 夜中にパンを焼いていた職人が、 地下を掘って侵攻してきたトルコ軍に気付いて、 難を逃れた事により国から、 「特製のパンを作ってよい」 という特権を与えられて作った物。 ★サラダは古代ギリシャにはすでにあったが、 ローマの金持ちにはウケず、 17世紀になってやっと認められた。 生野菜だけではなく、チキンや魚介類、フルーツ等も 加えるようになったのは18世紀も終わりの頃。 ★ステーキの焼き加減には、 レア、ミディアム、ウエルダンの3種類がある。 あまり知られてないが、 この他に「ブルー」というのがある。 レアよりも生に近く、 火がサッとかけぬけていく程度の、 「青い」感じの焼き方をさす。 ★西洋人が好んで食べた牛肉を、 大胆にも、ご飯のおかずにしてしまったのが牛鍋。 牛肉とネギを味噌と醤油、砂糖で煮た牛鍋は、 幕末から明治にかけて、 一世を風靡した日本の代表的な和洋折衷料理。 日本の洋食のルーツになる。 ★アメリカでSUKIYAKIと言っても通じるほど、 スキヤキは日本の食生活に溶け込んでいる。 日本の洋食のルーツとなった牛鍋を、 関西ではスキヤキと言い、肉を焼いてから、 割り下を入れる今のスタイルが、 出来上がっていった。 ★ハヤシ・ライスとは、 ハッシュドビーフ(細切り牛肉)・エンド・ライス と言うイギリス料理から生まれたもの。 元々は、イギリスの庶民が、 クズ肉を内臓などと煮込んだ家庭料理で、 レストランのメニューにはなかった。 ★資生堂パーラーのメニューに、 コロッケが登場したのは昭和6年。 庶民派のイモコロッケと違い、 フランス料理として、 本格的な西洋料理店で出される。 カリっと揚がった「ミートクロケット」の人気は、 今でも衰える事はない。 ★カレーライスが日本全国に広がったのは、 軍隊のおかげともいえる。 軍隊でカレーの作り方を覚えた地方の青年が、 故郷に帰って作ったのだろう。 忙しい時期の農家では手軽さがウケて、 農村で大流行した。 ★昭和5年に生まれた「お子様ランチ」は、 「お子様洋食」という名前で30銭で売り出された。 カレーライスが10銭、おしるこが15銭、 トンカツは20銭だった事を考えると、 一般家庭の子供にはとても食べられなかった。 ★江戸時代末期に創業した西洋料理店「三河屋」の、 フルコースは品数38品、 金額は現在に換算すると7〜8万円もした。 ドリンクメニューにはビールもあり、 コップ売りされるほどの高値がついていたという。 ★カツレツとトンカツの違いは肉の厚さにある。 関東大震災を境に、薄い肉を使ったカツレツから、 厚みのある今のようなトンカツに変わっていった。 現在のトンカツの元祖は、 東京・御徒町の「ぼんち軒」と言われている。 ★大正の頃までは厚い肉を揚げる技術がなく、 肉をビールビンでトントン叩いた事から 「トンカツ」と名付けられたと言う。 テレビがない当時、 流行を作っていた咄家(はなしか)が、 トンカツを高座の話題にした事でブレイクした。 ★東京・日本橋三越の、 大食堂料理長が考案したオムライスは、 オムレツの具に、 チキンライスをつめた日本製の洋食。 このアイデアは、親子丼をヒントに、 お子様ランチ用に工夫されて大ヒット。 たちまち日本中に広まった。 ★大正時代の子供のおやつで人気があったのが、 手押しの屋台が売り歩いていた大正コロッケ。 一個だと1〜1.5銭、3〜5銭で、 新聞紙の上に角切りのキャベツを添え、 ソースとカラシをかけたコロッケ2〜3個が 渡された。 ★日本初のコーヒー店は、 明治21年4月に東京・上野にオープンしている。 店は2階建ての西洋館で、 1階は玉突き場、2階は喫茶室となり、 洋酒、ビール、トランプ、囲碁、将棋、 雑誌に便箋までありかなり豪華だった。